脱線して原発の話です。

先日東京都のハイパーレスキューが福島に出動した時に、同行したお医者さんの話を聞く機会がありました。
そこで出た話なのですが、今までの日本の原子力災害への取り組みの歴史についての話がありました。

日本はみなさんご存知の通り、世界で最初に放射性物質の大規模な放出による被害をこうむった国です。
長崎・広島からはすでに60年以上の時が流れています。
ところで、急激な放射線被ばくが起こった時の対処法が日本でまとめられたのはいつだかご存知ですか?
実は東海村の事故以降なんだそうです。
東海村の事故って?1999年でしたよね?「それまで何をやっていたの???」とは思いませんか?

お話してくれたドクター(とその上司)は、それ以前から会議などで対処法をまとめることを提言していたそうです。
しかし会議の議事録には、そんな提言があった記録はありません
”被ばく”という単語が出たとたんに、いつも「議事録から削除!」と言われていたそうです。
原発事故など起こりえず、急性被ばくなどあり得ない」ということだったようです。
ところが事故による急性被ばくでの死者が出てしまい、しぶしぶ対処法をまとめることになったということです。


まだ続きがありまして…。
紆余曲折を経て、広島・長崎から半世紀がたち対処法がまとめられました。
福島ではさぞかし役に・・・立たなかったそうです。
原発事故となれば、その周囲は基本的にとどまることができなくなります。
実際そうなりましたね。
ところが、福島で急性被ばくに対処できる施設は半径20Km圏内にほぼ半数がありました。
最初の爆発でけがをした方は、引き取り先がなく受傷48時間後にやっと入院できたそうです。
地震の前から、「これじゃだめだよ!」とは伝えていたそうですが、担当のお役人曰く「原発のための交付金が下りてない土地には作れません!」
結果として、大半の施設が原発の近くにあったため実際にはまったく使い物になりませんでした。


「天が落ちてくるのでは?」と毎日心配して暮らせとは言いません。
しかし、事故が起こった時の想定を全くせずに今まで来てしまった結果が今回の福島でした。
日本のお役人の体質もそろそろ限界にきているのではないでしょうかね?